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エッセイエクササイズ

最近あんまりにも新作を書いていないので、

せめてものとっかかりにならないかと思って公募ガイドの

『書かずにはいられない。』2021年1月号の中古をメルカリで購入した。

そこに「エッセイエクササイズ」なるものが載ってたので試しにやってみる。


①「『自分を他人を見る』か『面白おかしく書く』といういずれかの方法で、あなたが心に秘めたエピソードをさわりだけ書いてみましょう」

       あれやらなくてはならない、これもやらなくてはならない、あれもどれもこれもそれも。本も乱読もいいところ。何冊も中途半端に栞を挟んで、いたる所に積んでほっちらかして、なぜか読んだ気になっている。いい気なもんですよね。これでも本人は必至なもんだから、かわいいもんですよ。

②「常識を挙げ、これが100%是か検討してみましょう」

       エアコンはリモコンで操作しなくてはならない。しかしどうだろう、万が一リモコンを失くしたとしたら……。よくよく見れば応急措置ボタンものなるものが付いているではないか。設定が同じでよければ、一応運転させることはできる。

 「習慣を挙げ、これが100%是か検討してみましょう」

   洗い物は洗剤を付けたスポンジで洗う必要がある。と刷り込みのように、というかむしろ当たり前のようにそうしてきたが、はたしてそれは必ずしもそうでなければならないのだろうか。いやいや、別に洗剤でなくたって軽い汚れであれば水でだって落ちるし、洗剤以外に重曹やクエン酸などをスポンジに付けることで汚れを落とすことができる。それなのに私たちはすっかり、洗剤以外の方法を忘れてしまっているのだ。

「あなたが隠していることは?」

   ***を###にしていること。

「些事だけど書きたいことはある?」

   %%%の味がたまらなく好きである。

「時代や地域限定のあたり前はある?」(今回はギターあるあるで)

   ギターは練習すれば一時的に皮が硬くなるが、練習が日常化すると指先が順応してしっかりとした指先となる。(指先がギターを弾きやすい指先に自然となっていく)

「あなたの日常をユーモアを交えて書いてみましょう」

   私はパソコンのタイプを打ちながら、左薬指の先で剝がれかけてキーボードに引っ掛かる皮が気になり、ささくれた皮をむしった。ぺり、ぺりり。またタイプ打ちを再開するも、指の凸凹が気になってしまって指の腹をみる。それでまた、皮を剥ぐ。タイプを打って皮を剥いで、また剥いで、何回か繰り返しているうちに、カスが爪を切ったあとのように溜まってテーブルの上に無造作にかためられていた。

 はあ、指先のちょっとした段差が気になってしょうがないのに、テーブルの上のゴミには無頓着か。神経質なのか無神経なのか自分でもよくわからん。

「先が気になる文章の冒頭を書いてみましょう」

 「あっ、あああ!」

 私が台所でよくわからないことを叫ぶのはなにか癖のようなものかもしれない。情けないような、切羽詰まっているような声には、「どうしようもないことが起こってしまったけど、誰かに助けて欲しい」なんていう切なる願いめいたものが込められているかもしれない。

「流れるようなリズムのある文章に書きかえてください」

 (春の菜種梅雨に対し、秋の梅雨を秋霖と言う。ここ数週間は雨が多かった。雨は降り方や降る季節によっていろいろな言い方がある。面白い。一例を言う。小糠雨。糠の粉末のような霧雨。細雨とも言う。もう少し本降りになる。すると地雨となる。もっと降る。すると大雨、豪雨、雷雨、篠突く雨となる

   春は菜種梅雨というのに対して、秋の場合は秋霖と呼ぶ。ここ数週間も梅雨かと思うくらい雨が多かったのだが、雨といえば降り方や降る季節のよっていくつもの名前があるので面白いと思う。例えば小糠雨というものがあるが、みなさんご存じだろうか。糠の粉末みたいな細かい霧雨を小糠雨というが、小糠雨と似た言葉に細雨という呼び名もある。それらがもう少し本降りになったものが地雨と呼ばれる。さらにもっと降れば大雨、豪雨、雷雨、篠突く雨と呼び名が変わっていく。


とりあえずでやってみたけど、久々になにかを書くのは楽しい!(ユーモアを故意的に交えて書くのは難しいと思った)

ほんとはもっとやらないといけないことがある。あー駄目だ。

でもま、いっか。とりあえず、実践実践。現実逃避、現実逃避。

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